論文 創造のソフト面及びハード面からの考察       ヤルデア研究所 伊東義高   

A study on creation from the both sides of software and hardware. Among the various studies of creation l have sometimes met these opinions as following “creative thinking exceeds other thinking in intellectual faculties”,“the source of creation exists in the unconsciousness where the universal mysteries lie concealed”,“when the brain wave shows α−status creative ideas are caught easily”…But these are far from my feeling of reality.Then, Ihave tried to make a hypothesis which explains it integratively as corresponding the side of developmental histories of human life&thinking since the human birth (software) and the side of  biology&cerebrum‐physiology(hardware). (Key words;image, difference‐liking tendency,YES/NO,AND/OR theory,dopamine,“APPLE−METHOD”)   概要 創造についての諸研究の申には、「創遣的思考は他の思考よりも高等である」「創造の母体は無意識であり、 そこには宇宙根源的な神的なものが存在する」「創造はピンチに自動的に出る知恵」「脳波をα波にさせれば閃き が出やすい」一の説がある。  これらは私の長年の創造性開発研修(アツブル法を中心とした)を通しての観察と私自身の創作活動からの実感 とはかなり違うものである。  そこで私は創造を人類誕生からの生活と思考の発達史的側面(ソフト)と記憶・情動・統含を中心とした生物学 的・大脳生理学的側面(ハード)の両者を対応させ統含的な説明仮説を試みた。  仮説について従来の科学は「普遍性と再現性」を基盤とする実証科学が中心だったその成果多くの不可解な事象 が解明され現代文明を築き、科学自休の権威も確率したこれからの科学はこれに加えて「仮説の創造と実証」の比 重が増大していくと思われる。仮説により研究対象・分野が増え、到達手段・方法が豊かになり飛躍的発展の可能 性が大きい。仮説とは従来の枠組みや方式にこだわらない推定で、可能性があって保証のないものである。この意 味でも、創造性の研究や創造技術の開発に寄せられる期待は高まってきている。  この小論においては、未だ実証されていない仮説を臆せずに展開している。 (キーワード;イメージ、好異的性向、YES/N0、AND/0R理論、ドーパミン、「アッブル法」) (1)環境への適応 ソフト的考察  生物の原始にはいまだ謎は多いが、神秘はない。天地創造説や輪廼転生論は古代人の傑作として専敬はするもの の、科学的者察の対象とはならない。  単細胞生物として誕生した生物は、無機的に有機的に際限なく変化する環境に適応することで、生命体の基本的 特性である「生存」を続けることができたのである。 ・植物は環境に従属的に適応(変化には忍従で) ・動物は環境に主体的に適応(変化には変化で)  環境への適応にはハードウエアとソフトウエアがある。ソフトとはその生命体の主体的な対応策(選択的行動) であり、その量と質が間題である。 ハード的考察  一般に生物は窒素〜アン毛ニア〜アミノ酸〜蛋白質〜細胞〜組織〜と構成されている。各細胞は核酸を有し、そ のDNAに基づき自己増殖をする。外界遇応の中枢器官である神経でも同様である。 ・植物や下等動物は単純な外界刺激の知覚神経 ・高等動物では知覚・運動神経を統含する中枢  これら神経等のハードも歴史的時間の経過のうちに合目的的に変化(進化)する。ソフトの一部(本能的反射行 動)はDNAに刻印され、ハードの一部として遣伝する。 通説 現在の遺伝学は適者生存のダーウィン説を否定しながらも、これはという代替説を未だ産み出していない。 “獲得形質は遺伝する”のラマルクの説も幾つもの反証で切り捨てられている。 仮説 無目的の大幅変化の突然変異説と微量変化積み重ねの適者生存説は併存し得るものと思われる。獲得形質の 遺伝も躯体組織はともかく、神経組織では極く微量ながら有り得るのではないか。 ・記憶の一部が神経回路の変質(燐酸化)や記 ・憶物質の生成でDNAの一部が変化をする ・野生と家畜の行動の違いや楽聖パツハの家系  研究も脳内物質の一部遺伝説で説明できる。 (2)記憶と学習 ソフト的考察  適応とは成功を繰り返し、失敗を繰り返さぬことであり、そのためには良い経験・悪い経験を整理記憶して、正 確・迅速に想起すること(学習能カ)が不可欠である。  単純な環境下でのキーワードは「同じか違うか」(論理的に言えばYESかNOかの二者択一論)である。眼前 の物が過去経験と同じなら学習が身を守るから、同じ/違うが認知の基本となる。  環境が複雑化すると中間項の「似てる」が増加する。「似てる」とは馴質部分(同じ部分)と異質部分(違う部 分)が共存することで、ここから錯誤や連想が生まれる。 ハード的考察  動物の高等化は一面において、Lその学習能力と深く相関する。動物の中枢神経は活動の統台機能の傍ら大量記 億器宮として次第に肥大化し、脳機能は分化・局在化する。中枢部で現在の刺激情報と過去の記憶情報とを比較し 判断する。 (一つの認識に複数領域の多数の神経が関字) (体験記憶は印象情報と行動情報がセット化)  全部を個別に記憶することはどんな脳でも無理であり、圧締化・概念化が行われる。  仮説「異質性」とは客観的・絶対的な特性ではなく、主観的・相対的な価値観である。(リンゴやバナナは無数 に存在する。厳密にはみなそれぞれ違うが、生命主体にとって意味が同じなら、同じ認識となる)  同じ意味の部分と違う意味の部分が同居している対象物は主体にとっては別のもの(違う/No)を意味する。 (歪なリンゴ・小さなパナナは同じでも、腐ったリンゴ・青いパナナは違う)  猿も人も主観的に同じ意味の対象はいかに多く見ても一印象・一記億である。「似てる」とは少し違う(主観的 意味に差)から「同じ」扱いにする訳にいかない。  似たものリンゴの情報処理関係ニユーロンは共通部分と特殊部分から成り立っている。そのイメージ的モデルは 次のとおりである。 (イメージ)  ニューロン・ネットワーク (○は使われる脳細胞) ・丸い・赤い・美味…などは共通情報。買った・貰った・拾った…などは個別情報。 ・共通情報は同じ意味を持つ細胞を共有することで、脳細胞使用の節約を図るもの。  この「共通の要素情報に対応する神経細胞の共有化」というハード面での適応は記憶容量の節約、記銘の正確性、 想起の迅速性をもたらし、猿や人の生活カ向上に大きく寄与した。  ソフトでは似たもの同士の印象の重ね焼き付け(共通部分)がイメージとなり、概念となる。猿→猿人→原人→ 旧人→新人と環境の拡張に伴い要処理情報の種類は激増した。  上図の「同種共有式」だけでは対処不能となり、「同類共有式」に発展していった。(リンゴだけでなくバナナ ・マンゴ一と少しでも共有部分があれば共有方式の範囲を拡張) ・概念領域の拡大が思考形式を発展させ、帰納法・演縄法の原形を作っていった。 ・検索の際の混繊が「種間違想」を産み、さらに「種聞類比発想(創造)」を産んだ。 (3)想像と創造 ソフト的考察  猿はリンゴの芯を見て、リンゴの完全像を想像して涎を出したり、通りすがりの洞窟の臭いから熊の像を脳内に 再現して立ち去ることがある。  人は残されたリンゴの芯を見て、猿が自分のリンゴを食った像を描き怒ったり、通りすがりの洞窟を見て熊の穴 か人の棲家なのかを想像する。 ハード的考察  大脳の中には関違分野をつなぐ閉鎖的な回路が存在していることが知られている。(記憶にはパペッツ同路やヤ コブレフ回路等)  前頭連合野は折に触れて、意識的に脳の各部機能を定査し、統合して記憶情報の意味を確認・強化している。 (この能力は脳の巨大化と共に著しく進化してきた) 仮説 猿は記憶原形のまま再現する再生的想像をすることしかできないが、人はそれを変形・拡張する創造的想像 (創像)をすることもできる。(認知対象物の種間・類間…とグルーピング化・類型化を推進していく歴史的過程 で起きた偶発的な目的外検索〔つまりミス、勘違いコが契機だったであろう)  夢は記憶整理の機能も持つ。猿は昼の体験のままの夢を見、人は他の物や出来事と連結した夢を見る。この連結 される事物とは、一般に昼の体験に類似または近似しているものか、あるいは抑圧されている欲求に係わるもので ある。(メンデレーエフは蛇が輪となって自分の尾を噛んでいる夢を見たが、猿にその真似はできない)  基本的には猿は経験と問題を1:1の対応でのみ考え、人はl:nでも考えられるということである。(人が 「同じ…似ている…違う」という認知をするのに対して、猿は「似ている」を「同じか違うか」に仕訳しているか ら類推機能が大変乏しいのではないか。「似ている」という曖昧性=面義性に重要な意味がある)  気象異変か猿人の人口爆発のためか猿は餌を求めて、住み慣れた密林から危険な草原に降りざるを得なかった。 (あるいははウイルス性の流行病で体毛を失い、体温保持のためには相互抱き舎って眠らねばならないのに、樹上 では墜落の危険でできないので地上に降りた?)  地上生活には問題が山積していた。餌の採集・寝所の確保・敵からの保身…どれ一つとっても失敗すれば死を招 きかねないものばかりであった。 猿人達は二足歩行に慣れ、道具を作り、火を起こし、含図(言葉)を使って狩り…と苦労を重ねた。この苦労に耐 えられなかった猿人達は「不適者不生存」の例により死に絶えていった。(ゴリラ等も時に地上に降りるが、危険 ならすぐ樹上に逃避するから、数百万年間経っても進化はしなかったと考えられる)  広域概念化の展開には、左脳での言語情報処理と右脳でのイメージ情報処理の脳機能の局在化、そして脳梁によ る左右脳連結方式が大きく貢献した。(言語が加わることで空想・連想・創像…等の創造能力は飛躍的に増大した)  発想法(abduction)は一個のAの特性からある公理を仮定し、別のBの属性を推定する簡易な帰納法である。 多数の特殊から公理を抽出する帰納法や証明された公理から特殊を推定する演繹法よりは楽な発想である。「簡易 類推法」「手抜きの推定法」…であり、「発想法」「仮説設定法」…といわれるもので、論理学の原典である。  帰納法や演繹法なら間違いはないが今まで以上の発展はなく、「発想法」「仮説設定法」なら成功の保証はないが 発見・開発の可能性がある。猿人・原人は時間的余裕があれば「準帰納法」「準演繹法」で、なければ「原始発想 法」で初物に対応したのではなかろうか。(蛙が食えるなら鮒も食えるだろう→成功。鯛が旨いならフグも旨いだ ろう→失敗。人類の創造的進歩の裏には数知れぬ失敗例があっただろう。失敗をしないゴリラは進歩もしなかった) 自身の成長的変化によって気象環境や生物環境への対応の仕方を変化させていった古代人は常に開拓的だった。 (4) 好異的性向 ソフト的考察  創造的性格の一つに好奇心(好異性性向)がある。 ・好馴性は固体保存本能の無事指向・保守傾向……相変わらず ・好異性は種族保存本能の冒険指向・革新傾向……珍しがり屋  適量の異質・新奇を面白がるのが猿系人類の歴代の習性である(多めの人は変わった人、多過ぎると変な人となる) ハード的考察  生物の脳は異質・新奇のものには敵かも知れない、毒かも知れないと恐れのホルモン:アドレナリンを分泌させ、 身体に身構え・警戒をさせる。一方、見慣れたものには快いホルモン:ドーパミンを分泌ざせ、安心・親和・好感の 感情や接近・獲得の行動を起こす。快感や満足を邪魔されると怒りのホルモン:ノルアドレリンを分泌させ、怒り、 攻撃する。 (5)論理と創造 ソフト的考察 猿人達の判断の基本は対象物が基準物と比べて「同じか違うか」であるが…… @「同じ所ばかりで違いはない」なら「同じ」……同一 A「どこか違うが大体は同じ」は「同じ扱い」……類似 B「同じと違いが凡そ半々」は「変わってる」……新奇 C「同じは少なく違いがほとんど」は「違う」……別物 @同一ばかりを志向するコアラやパンダは動物園生活を選ぶか減亡するか…… A類似指向を続けることができた猿は今でも樹上で蚤を取っている…… B新奇の道を強いられた不運な猿人は今では文明人として鱶鰭やエスカルゴを食う…… C別抜挑戦のドンキホーテという生物種は結局は滅亡して、名も残っていない…… ハード的考察  脳の判断の基本は回路論理が「ONかOFFか」「一致か不一致か」の二進法である。 @対象からの刺激と記憶の回路論理が「完全一致」   大脳の判断統合機能部分は発達する必要がない A下等動物は不一致とし、高等動物は「類型一致」   ニユーロン共有化とその検索・統台機能が発達 B人だけが「大類型の部分一致」で興味〜接近欲求   広域連合野を多重に繋ぐ共通部検索回路が発達 C人でさえ「不一致」として警戒・嫌悪〜逃避欲求   左脳の言語ラベルが別種であり、混淆はしない 仮説 猿人のような高等動物のYES/NOの論理にはAND/0Rの他にAND/BUTの文脈もある。BUTとは対 立であり矛盾である。猿人の脳にとって矛盾とは判断に多大の労カと不安を伴うものであってÅND/BUTはそのま ま快/不快を意味するものであつた。 AND=順接=馴説=OK=親和=好き=快感情→ドーパミン分泌…猿人も安心 BUT=逆接=逆説=?=不満→ノルアドレナリン/アドレナリン一猿人は困る  「AとBとは一緒。Aは好きだがBは嫌い」のような逆説(部分肯定・部分否定)の場合、脳幹から前述の情動 3ホルモンを都含よく分泌させることができない。というのは、これら3種のホルモンは同量の同時分泌させると、 大脳の神経細胞間(樹上突起間のシナブシス間隙)での情報伝達物質の授受が混乱するので、生理的に不可能とな っている。A,Bいずれかに決着をしないと脳は不安定な状態が続き、外敵に対して無防備・危険な状態となる。 大自然の中で生きる猿人は早く決着をつける必要があった。  創造とは論理的には矛盾するAとBとの統合…異質同士の面者の特性を活かして別物Cを生成することである。 ・猿の頭は1:1型構造で同一か類似以外は対応不能。矛肩は頭が痛いと避けた。 ・猿人・原人は共有ニューロンからA・B両者の共通点(等価変換論cε)を模索。  彼らは単純な類比発想で身近な創造を試みた。「棒より石のほうが痛い→武器にしたら?」「焚き火の焼け跡の 栗は美味かった。肉も焼いたら?」…幸島の猿の先輩である。 ソフト的考察  原人にとっても「不安・迷い・悩み」が生活に付きまとう心の問題であった。 @不安は敵に負けそうな恐れ。逃げるか鍛えるか A迷いは損得選択上の判断に自信がない。考える B悩みは不可避の好き嫌いの葛藤の問題。考える  問題解決は既知手段の踏襲か新規手段の採用かどちらかである。条件が許せばデータを集め検討を重ねて、妥当 な案を練る。さもなければ事態解決のために発想法で案を創る。…基本的には現代人と変わらない… ハード防考察  基本感情「快い・怒り・恐れ」は脳内に分泌されるホルモンの支配するものである。 @アドレナリンが保身。一点に心身の全機能を集中し統制する A誤判断による失敗不安、逸利不満…に対する恐れ・怒り感情 B嫌いなことの苦痛への恐れ感情とそれをさせるものへの怒り  脳は中途半端・曖昧が嫌いである。早く右か左か決めたがる性向がある。 ・言語・符号が得意の左脳の出番…現代人がする ・印象・感情の右脳・大脳辺縁系…古代人もした 仮説 本多宗一郎は「アイデアとはピンチの時に出てくる知恵である」と言った。このピンチの知恵には二種類が ある。ピンチの解釈を猿人時代にまで遡及させれば、不安から逃れる@危機脱出志向のほかに、A狂騒夢中の異常 状態感とすることができよう。 @解決しないと別の罰の恐れがある時、脳は高速思考(脳波はハイβ波)はするが、一つのまあまあ含格  の案を着想したらそれ以上の思考は停止して、それを結論としてしまう。 A解決により魅力的な報酬が期待できるとき、心はうきうきと軽安[キョウァン…禅語]、つまり軽躁な  乗り気分で珍案・奇案の乱作を続行する。着案時の「面白い!」「やった!」「Aha!」が快感ホルモン  (ドーパミン)が報酬として分泌されるので、またさらに発想の欲求がうずく。いつの間にか初めの貰  える報酬以上に、発想行為自身がもたらす快感報酬が中心動因となる。それは釣果よりも釣り行為その  ものの楽しさに取り付かれる道楽三昧の「釣り狂サンペイ」の境地に似ている。  前者はアドレナリン分泌下であり、思考が萎縮し、間違いのない、罰のない結果志向に傾斜しがちとなる。着案 確率は高まっても、創造度は期待されにくい。  後者は豊かなドーパミンと僅かなノルアドレナリンの分泌下で、あれこれと欲張りな浮気思考型である。調子に 乗って愚案・駄案・凡案が乱発され、効率は低いが創造度の高いものが混入する確率はある程度期待できる。 (6) 情動と情操 ソフト的考察  学習の基本は「好き嫌い」に対する誤りのない対応パターンを習得することである。変形動物のプラナリヤでも 「好き嫌い」の学習的反応を示す。生きる基本ノウハウである。 (自分の生活に好都合、得、+、味方……=好き) (自分の生活に不都合、損、−、敵対……=嫌い) ハード的考察  大脳辺縁系の扁桃核が対象物の性情(アナログ的刺激量)を「好き嫌い」を符号化(ON/OFFの二進法、ディジタ ル化)している基準値(遺伝されたもの、学習されたもの)と対比して、二者択一的に判定する。 ・好き=快感→中脳毛様体からドーパミンが分泌→接近・獲得の行動 ・嫌い=不快→ノルアドレナリン/アドレナリン→攻撃/逃避の行動  情動を司る扁桃核と記憶を司る海馬とは隣接していて、相互に緊密な連絡をしている。 推測 古生代の海中に棲息していたプラナリヤやゾウリムシのような原始生物の「刺激‐反応系」の神経伝達物質 は、構造の単純なチロシン(ベンゼン核+OH+NH2+COOH)ではなかっただろうか? チロシンは無毒の物質 である。つまり刺激性も弱く「刺激−反応」の機能もかなり緩やかで、ムラやミスもあったのではなかろうか?  やがて、この神経伝達の遅延が生物にとって死活間題となったのではなかろうか? その解決策として、チロシン +0H−C00H=ドーパミンを採用した。ドーパミンは毒性(刺激性)物質である。刺激性が一段と高まった ドーパミンにより、採餌や求愛行動などが正確化かつ迅速化して、生存確率が一段と高まったのではなかろうか?  しかし、逃げる餌を追跡・捕捉したり、こしゃくな敵を撃退するにはドーパミンではまだ手ぬるく、腹は一杯に はなっても、自分の縄張りを侵害する敵(自分より強くない)を撃退できないということが問題となったのではな かろうか? そこで、ドーパミン+0H=ノルアドレナリンを作った。猛毒性(強刺激性)のノルアドレナリンで 「刺激−反応」機能がより迅速化され、敵を速攻して、撃退に成功したのだろう。  ところが、この攻撃行動は自分よりも強い敵には裏目だった。そこで弱い敵と強い敵とには対応を切り替えるこ ととなった。ノルアドレナリン+0H+CH3=アドレナリンを作った。一段と猛毒性(強刺激)のアドレナリン で、より素早く強敵から逃れることに成功し、個体保存〜種族保存に成功したのではなかろうか?  基本的な生活行動は、脳が末発達の下等動物では前述ホルモンによる自動的反射行動であって、まだ情動は伴わ ない。高等動物になると遺伝的ホルモン行動に後天的学習行動と個別判断行動が加わって、複雑な生活様式を持つ ようになった。そして、遣伝的行動傾向に反復学習で固定化した記憶が情動となったのではなかろうか?(その獲 得形質の一部分がDNAに転写され、遺伝するようになったのでは?) @進化とともに「採餌・求愛行動=栄養・生殖=生命に必要=好きの衝動→ドーパミン分泌」という結合  ができていった? A進化とともに「攻撃・撃退行動=自己主張・自己顕示=生活に必要=憎しみ・怒りの衝動=ノルアドレ  ナリン分泌」という結合ができた? B進化とともに「警戒・逃避行動=安全・保身=生命に必要=不安・恐怖の衝動→アドレナリン分泌」と  いう結合ができた? 仮説 情動とは「何か」についての説明は多々あるが、「何故あるか」についての説明はないようである。前述の 推測を踏まえて、創造的思考(拡散思考・収束思考)と関わりの深い惰動の発生に関する説明に仮説を考えてみる。  発生学的に見れば、学習の原始形は1:1の体験再現(前と同じことを、今も同じようにすること)であろう。 それは、今も自分が生き延びていることが何よりの成功の証明だからである。進化とともに学習対象が増え、「知 覚印象(どんなものに対して)〜対応行動(どんな対応をしたのか)〜結果評価(その結果はよかったのか悪かっ たのか)」の3点セットの記憶量が次第に増大していった。そこでは次の3点が重要な間題となったであろう。 @脳の記憶容量限界の問題;重要事項限定方式だけでは不十分である。大脳神経  細胞数の増大には限界がある。 A記銘・想起の混乱の問題;小さなミス・勘違いなら学習補正ですむが、大きな  勘違いなら生命に係わることになる。 B想起の速度の遅延の問題;乱雑大量の記憶検索にはかなりの時間が必要。時に  逃げ遅れが命取りになることもある。  これらの問題に対して、原始動物は「似てる」を「同じ」に圧縮し、「餌か毒か」「敵か味方か」の極端な類型化を すること(ソフト)で対処した。  Aの大ミス防止、Bの想起迅速化めための「好き〜進む、嫌い〜退く」の大類型化が「情動」の原点であった。 高等動物、特に人では「似てる」や「変わってる」の類型も情動の枠組みの前提の下に「好き〜嫌い」に仕分けら れた。  また、景色・器物・符号のような「非情動記憶」も情動の両極があればこそ、その中間域(無情動という平静・ 中立領域)に安定することができた。(快感≠無不快、不快≠無快感;快感と不快は不連続・非接触。ゼロを頂点 とするU字型双曲線の片側の頂部が快感で、他方の頂部が不快である。無情動はその双曲線の頂点=U字の底部に 当たる)  長期・超長期記憶はともに快感系・中立系・不快系に三分され対応ホルモンによって符号が付けられ安定貯蔵さ れることとなった。(快感にはドーパミンなど、中立にはチロシンなど、不快にはアドレナリン/ノルアドレナリ ンなどが主役になったのではないか)そして、認知・思考活動にも次のような「共鳴現象」が見られるようになっ た。これは創造的思考に極めて重要である。 ・快い刺激や想起でドーパミンが分泌され脳の気分は愉快になり、快感系の連想が弾む ・中立刺激や想起でチロシンなどが賦活されても情動はなく、類似・近縁型の連想が出る ・不快刺激や想起でアドレナリンなどが分泌され脳は不愉快になり、不快系の連想が進む ・快感一中立と中立一不快は相互に部分重合し合い、連想し合うが、快感一不快は断絶する   [快感刺激情報が脳内の快感記憶情報と共鳴して連想・想起され、容易に多大なイメージが得られること  は筆者の開発した発想技法「アツプル法」の画像類比ステツプで十分に実証されている] ソフト的考察  猿も人も快感享受に幸福を感じて、乗り乗りになり浮かれる。調子に乗るとますます気が大きくなり、貪欲な AND型になりがちである。一般に、浮かれているときは、小異には拘らず、中異を面白がり、肯定的に受け入れ る傾向になる。  軽い怒り・攻撃欲求は別名「やる気」とも言われるもので、目標到達意欲でもある。脳も体も軽く興奮して高出 力になり作業能率は向上するが、興奮度が進むと一点集中型、OR型になる傾向がある。  一方、恥ずかしさ・不安や恐れの感情は慎重さ・真面日さを呼び学習的規範に忠実となる。程度が高じると、認 識・思考・行動が制約・中断・抑圧されて、安全サイドに収束しがちになる。 ハード的考察  ドーパミン分泌の状況とは警戒不要・緊張解除の状況で、採餌・求愛などの好きなことをむさぼれるときである。 ドーパミンが分泌されると、大脳基底核の行動統一機能を狂わせて、あれやこれに手を出すようになり、一つこと に集中しなくなる。分泌が多過ぎると気の多い多動症となり、極端な場舎は分裂症となる。  ノルアドレナリンは心身の警戒警報で注意緊張を呼び起こす覚醒・興奮系のホルモンである。脳波はハイβ〜γ 波で遊びのない一生懸命気分から必死の状態を作り出し、前向きの攻撃態勢を取らせる。  アドレナリンも同様に緊張させるが、後ろ向きの逃避態勢を取らせる。 仮説 創造は思い付きを多産する拡散思考と冷静に検討する収束思考とから成り立っている。拡散思考では批判厳 禁(恥掻きの心配不要)のもとに愚案・駄案や珍案・奇案を大量に算出することが大切である。拡散思考はドーパ ミンの特性に適含した思考といえる。「ワイガヤ会合」や「騒々性開発研修」とか称して、時には軽くビールなど を飲みながら、楽しく「アイデアごっこ」を展開すると、こんな発想、あんなアイデアが陸続として生まれてくる。  ドーパミンは忘れている潜在記憶を無秩序・無制限に情報処理室に呼び込む特性を持っている。ドーパミンは一 つの着想で清足せずに、あれやこれや、もっともっと…の欲張り屋である。  拡散思考に不可欠な要件の一つに発想者の「好異住」「好奇心」がある。猿の子孫の人類に顕著な資質である。 これは人の前頭連合野(創造の座)のA10神経系列ではドーパミンが異常に多く分泌されることと関係がある。 ドーパミンの特性の一つである自己調整機能(オートレセプター)が欠如しているからだと説明されている。  通常のシナプスでは前の細胞にある情報伝達物質(40種類以上のペブチド類など。情動ホルモンも含まれる) の受容器(レセプター)で、既にどれだけ伝達物質を放出したかを検知して、放出量を調整するようになっている。 貴重な伝達物質の節約と用事が済んだらすぐ次の態勢の準備をするためである。同じ快感でも採餌や雄の性交の場 合、生理的目的(栄養の必要分摂取や射精)を達すれば、すぐに周囲への警戒態勢を取るために報酬の快感は消滅 する。[雌の性交だけは、精液が子宮には入り込むまでの時間遅延がある。さもないとせっかくの精液が漏出するか ら]  それではなぜ人の前頭連合野(創造の座)の快感ホルモンのドーパミンに調整機能がないのか。大木幸介らの諸 説があるが素人の私には頷きがたい。私はこう考える。  採餌や性交のような生理的快感はドーパミンにより行動が促され、その報酬感覚(旨い・満腹・快い…)はエン ドルフィンやエンケファリンのような種類の快感ホルモンであって、これらはオートレセプターによりギャバのよ うな抑制ホルモンによって鎮静化する。ところが常に新天地開拓を強いられるようになった猿人達の「中同中異 (馴質と異質が半々)」を求める「好奇行動」や「好異思考」はあれやこれや好みのドーパミンによって促される と共に、その報酬感覚(面白い・楽しい・嬉しい…)は同じドーパミンがあれもこれもと欲張りな、時間継続的な ホルモンであるために、「動機」と「報酬」が輪廻してしまって、歯止めが利かなく(オートレセプターが退化) なったのではなかろうか。  人類先祖以来の創造習癖(創造で快感を感じ、快感で創造…の反復)による循環的中毒体質となったのではないか。 ・生きるために「変わってる」を「変なもの」として避けずに、「面白い」と受け止める評価の傾向。 ・異質結含により新しいイメージを創像したときの「Aha!」「やった!」の歓喜の体験の積み重ね。 (7) まとめ  拡散思考を拡充させる技術論は左右脳、三層脳の他に情勤の面から研究する道がある。質は量から生まれる。名 案は山ほどの駄案・凡案の上に輝くものである。大量発想の拡散思考は快感(ドーパミン)の特性を良く利用して 設計することである。 ・α波音楽・瞑想あるいは雑談・軽い飲酒による緊張緩により発想の準備をすることは有効である。 ・発想の成功報酬の魅力を倍加したり、発想の自信を鼓舞したりする暗示を掛けることは効果的である ・放逸・脱線の防止や目標発想量を達成したいという欲求を刺激するために軽い賭や競争(ノルアドレナ  リン)をゲーム的に援用するのも一法である。 ・恥ずかしさや不安気分(アドレナリン)になるような批判・嘲笑・無視・罰則などは徹底的に排除する  ことが大切である。 ・冷静にアイデアの質を検討する収束思考ではやる気(軽いノルアドレナリン)を基調として設計するこ  とである。  [アイデア・チェック・リスト、費用対効果測定、技術検討、市場予測、紅白チェツク…など)強すぎる緊張(ア ドレナリン)を持ち込むことは避けたほうがよい] 付記  楽しい雰囲気で、愚案・駄案や珍案・奇案を大量生産するアツプル法は上記の趣旨で設計されている。数多くの 楽しいカラー写真のイメージ・カードから自由奔放な類比発想でユニークな着案が生まれる。(写真のグルメ・フ アッション・スポーツやセクシーショツト…はドーパミンを誘導する)  また独特の二段発想としての役割発想法ではゲーム感覚での多面的な発想で着案量が倍増されるように設計され ている。誰でもが、面白く、時の立つのを忘れてアイデアの大量生産を楽しめるものである。 参考文献 「脳と心進化」養老猛司他(NHK出版協会) 「脳と心無意識と創造性」同上(同上) 「脳と心」松本元(日経サイエンス社) 「情動・記憶と脳」J.E.ルドー(目経サイエンス社) 「脳と心のサイエンス」養老猛司他(教育社) 「脳・神経系が行う情報処理」松本・大津編(培風館) 「脳と性欲」大島清(共立出版) 「頭をよくする話」時実利彦(三笠書房) 「実戦・大脳生理学」武田豊(毎日新聞社) 「脳の発見」角田忠信(大修館書店) 「目本人の脳」同上(同上) 「続目本人の脳」同上(同上) 「意識の進化とDNA」柳沢桂子(地湧社) 「欲望・感情の脳」大村裕(読売新聞社) 「脳と思考」伊藤正雄(紀伊国屋書店) 「脳からみた心」山島重(NHK出版協会) 「脳を考える」亀井尚(大修館) 「脳研究最前線」岩間・塚原(大坂書籍) 「脳から心を読む」大木幸介(講談社) 「脳の手帖」久保田競(同上) 「脳100の新知識」森昭胤(同上) 「脳の探検(上)」F.E.ブルーム他(同上) 「脳の探検(下)」F.E.ブルーム他(同上) 「痴呆に効く薬」師岡孝次(日本プランニング・センター)

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