料理研究の方法論               ヤルデア研究所 伊東義高    

@ 味の王道・料理の王道 ・近年、新しい食べ物・珍しい料理・ニューフード…が若者を中心に広まっているようだ。 ・苺大福・天むす・カリフォルニア巻…は既に古く、コンビニ弁当には新顔が並んでいる。 ・納豆巻・ネギトロ巻・シーチキンマヨネーズ握り・オムライス握り…息をつく暇もない。 ・すし屋の親父・料亭の親方・レストランのシェフ…はこの風潮をどう見ているだろうか。 ・「そもそも鮨とは…」「一番美味いシャリは…」「料理本来の味は…」と穏やかではない。 ・コアラやパンダの社会ならユーカリや笹の葉の食べ方文化はいつまでも変らないだろう。 ・雑食系の猿の子孫である人間社会での食文化は時と場所で異なり、「何でもあり」である。 ・五味のうち、「甘」「鹹」「苦」は元から味覚だが、「辛」「渋」 は本来は皮膚感覚である。 ・猿にとって「甘」「鹹」「苦」は本来食物の吟味だが、「辛」「渋」は食物危険信号である。 ・唐辛子の辛さ・青柿の渋さは植物が完熟するまでの保身策としての「毒性具備」である。 ・気象大変化で密林から草原に移住した腹の減った猿達は恐れながら少しずつ口にいれた。 ・始めは、「不気味」「異味」だった唐辛子や渋茶も、馴れるに及んで「美味」と変わった。 ・動物の環境適応力の基本は食物適応であり、この故に猿の子孫は地球全面にはびこった。 ・ただし「異味」「異物」全てが食物ではなく、多くの猿が毒キノコやフグで死んでいった。 ・大同小異…食べ慣れたものと大差なければ安全。だが変わり映えがなく退屈 ・中同中異…食べ慣れたものと少し違うと新鮮味。変わってる〜気を惹かれる ・小同大異…食べ慣れたものと段違いは危険信号。警戒〜君子危きに近寄らず ・慣れにより「中同中異」の範囲は変わる。今の激辛カレーは縄文人には毒カレーである。 ・「味噌パン」「マヨネーズ飯」「スープ炒飯」も歴史の一過点であり、更に変わっていく。 ・人類の食べ物に「万古不易」「万人共通」はなく、「流行転々」「個々別々」 文化である。 A 新料理の研究 ・私は食物・料理の専門家ではなく、ものの見方考え方・創造的思考の研究家に過ぎない。 ・「こういう料理方法がある」「こうすれば美味い」 ということを教える能力は全くない。 ・「こんな料理があってもいいのではないか…」を教えるのでなく、考えさせるのである。 ・こと、料理の世界に限らず「覚える」だけではなく、自ら「考える」ことが大切である。 ・料理の学生…「どんな料理がある?」「どう料理する」を理解し、身につける ・料理の学者…「なぜそれが美味い?」「どう料理する」を推理し、人に教える ・料理研究家…「どんな料理がない?」「こうしたなら」と開発し、実験をする ・「料理の学生」「料理の学者」「料理研究家」と順次に進まなくても、三者は共存できる。 ・料亭・レストランで美味にありつき、テレビで感心して、模倣するだけでは面白くない。 ・自分で新料理を「想像」し「創造」するには「マトリックス法」が易しくて便利である。 B 料理の創造とマトリックス法 ・「料理」の構成要素は「主材」「副材」「調理」であり、「味・色・形・食感」 だろう。 ・「創造」とは異質な「A」と「B」とを結合し、新奇で有用な「C」を作り出すことである。 ・「新料理」は「今までにない食材の取り合わせ」「新しい調理方法」…が主となるだろう。 ・「今あるものを模倣する」「それと似たものを考える」…ことは楽だが、新しさに欠ける。 ・「創造なんて頭の良い人がすること」「アイデアは私には無理」…と尻込みする人が多い。 ・そんなことはない。家庭の主婦は毎日「遣り繰り算段」「あれこれ工夫」 …をしている。 ・トンカツを揚げたがキャベツがない。買いに行くか、冷蔵庫の白菜で間に合わせるか…。 ・「白菜の千切り」では家族は何と言うだろうか…ドレッシングを掛けたら?…工夫する。 ・この工夫:思考を容易に展開するのが「マトリックス法」で、特に集団研究に好適である。 ・テーマとする料理の各構成要素の類型を行列に配したマトリックス表の上で検討をする。 ・よくあるもの…何処が良いのか、一部変えたらどうなる、いつまで続くか… ・希にあるもの…何故普及しない、一部変えたらどうなる、市場を変えたら… ・未だないもの…何故できてない、どうしたら出来るのか、誰が賞賛するか…

トップへ戻る





100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!